一昨日の火曜日は、家に帰ってきてかみさんと
「今日は水曜日じゃなかったか」
「今日は水曜日じゃなかったか」
「まだ火曜日だっけ」
「日が進むのが遅い気がする」
と、休日症候群を発症していましたが、今朝はなんとなく、
「もう木曜日か」
という感じ。今日と明日頑張れば休みですから、いけそうな気がしてきました(^^)/
この週末は、日本平動物園の『夜の動物園』にお出かけ予定。市内だけになりそうですが、たまにはそういう休みもいいかなということで。
さて、遠い上州富岡の町でしたが、昭和の香り漂う街並みから、明治の香り漂う工場内の見学に入ります。
実は、訪問前はそれほどの期待感はありませんでした。明治日本の黎明期に国力をあげるために貢献した場所であることは分かっていましたし、小説『坂の上の雲』の影響で、この時期の日本の「上を目指して」進む姿は今の日本にはない魅力を感じます。その時代を代表する施設ですが、なんとなく、ここを目指して観光に行こうという気持ちにはなっていませんでした。
しかし、行ってみると、思っていたのとは全く異なる素晴らしさ。その魅力を少しでも伝えることができれば幸いですm(_ _)m
というわけで場内の様子。
【とりあえず案内板】
生糸作りに関わる主要施設はコの字型に配置されており、そこから東側と南側に、寄宿舎や病院などの付帯施設が並んでいます。
ちなみに、案内板もいいですが、こちらの案内のプリントが素敵でした。
【一通り全部見たなー】
ちなみに、入ってまず向かったのはトイレでしたので、その近くのポイントから回ることにします。
今から100年以上前に、既に社宅というのが存在したというのがまずは驚き。
【説明が充実していました】
社宅の建物は生活感があり、今でも何らかの形で利用されているようです。実際に住んでいるのかなというお宅もありました。
【住んでないと家って荒れてしまいますからね】
【こちらも社宅。2階建てです】
社宅群を抜けると、その奥には西繭倉庫となります。当時、繭をとることができる時期は1年間で春だけと決まっていたのですが、工場は年間を通して操業しているため、巨大な倉庫を東西2つ建設し、そこに繭を保管していたそうです。
【見える壁は、実はダミーです】
【保存修復工事を行っていました】
【なるほど】
ちなみに、この東西の繭倉庫はともに国宝に指定されています。国宝というとなんとなく、何百年もたった木造建築が指定されるものというイメージがあったので、百数十年のレンガ造りの建物が国宝というのは意外でした。
保存修理中の内部は撮影が禁止なので、写真がありません。全体を仮屋で覆っているので、上の写真で壁に見えたのは、布に印刷したダミーになっていました。2枚上の写真の左上を見るとわかると思います。一応安全になっていましたが、作業中の場所を見学するということで、見学者は全員ヘルメット着用です。
西繭倉庫の見学を終えると、次へ。巨大鉄製水槽です。
【鉄の水溜めですね】
【プールですな】
【うん、プールでしょ】
スタート地点の方に戻ってきました。こちらは東繭倉庫になります。こちらも国宝。修復作業はしていませんね。もうしたのかな。
【明治初期に、こういうものを造る技術があったんですね】
途中には、小僧お気に入りのミストがありました。それほどすごく暑いというわけではありませんでしたが、一瞬の涼はやはりありがたい。
【持っていた細引きでペットボトルをぶら下げています】
【東繭倉庫の入り口】
【中は展示スペースになっています】
ここで、思わぬ出会いが。
【糸を紡ぐ機械です】
こちらの機械、長野県の岡谷市から寄託されたものということ。岡谷と言えば、この前の飯田線完乗の旅で宿泊した街です。意図せず、製糸でつながる2つの街をこの夏は訪問したことになりました。
【姉妹都市なんですね】
こちらには、小僧が見たがっていた本物の蚕がいました。「飼いたい」と言われましたが、エサを調達するのが大変なんですよね。実は、小学生の頃に飼ったことがあります・・・。
【かわいいです】
ここには物販コーナーもありました。シルク製品が、手の出しづらい値段でずらり。シルクってこんなに高いんだなと再認識してしまいました(/ω\)
【お金があればほしいですけどね】
【そもそもこういうのが似合う大人にはなれてないような・・・】
一応、めったに来られないところですし、記念にと、比較的安い値段になっていた髪飾りをかみさんにプレゼントしました。・・・嘘です。購入補助をしました。
館内には、世界文化遺産登録認定証のレプリカが飾られていました。初めて見たかもしれません。
【他のところにもあるのかな】さあ、だいぶいい時刻になってしまいました。本日は出張です。そろそろ支度を始めますので、続きはまた明日です。