今朝はおもいっきし寝坊しましたので、パパっと写真だけアップ。あとで追記します。やっぱり疲れがたまってますねー。1時間寝坊しました。
ーーーーー以下、追記ですーーーーー
さて、東繭倉庫の1Fを見て回ったら、2Fの見学とまいりましょう。中庭側の階段から2Fへ上がります。余談ですが、この時13時半ごろ。建物の外に出ると、急に人が増えていました。午後になってこちらに到着した方々が多いようです。
2Fに上がると、ベランダというか通路がありました。入ることはできませんが。こちらは飾りのベランダではなく、繰糸工場へ繭を運ぶための通路だったと思われます。
【たくさんの繭が行き来したことでしょう】
中に入ると、薄暗い倉庫内がライトアップされていました。
【それにしても広い】
【そして高い】
【トラス構造がたまりません】
【明治らしい建物です】
説明文にあるトラス構造の説明ですが、このトラス構造自体が、明治になって開国したことで、海外から新たに伝わってきた建築構造ということで、ここでそれが使われていることが、それまでの日本と違う時代になった明治を表現しているようでした。そのため、各所でこのトラス構造のことを話題にあげている雰囲気を感じました。
東繭倉庫の見学を終えると、いよいよ繰糸工場に向かいます。
【繰るという字がいいですね】
こちらは昭和の時代まで使われていたということで、明治、大正、昭和という3つの時代を、その時代に合わせて、官営から民営に主を変えながら働き続けていたということになります。
【ずらりと並んだ機械】
【昭和の終わりまで現役でした】
【車のニッサンではないですよね】
【機械化っていうのはなにしろすごいですね】
繰糸機の並んでいるところや説明を見ると、その部品ひとつひとつが、目的を達成するために考えられて作られたものだということを感じます。機会というのは、その一つ一つが人類の英知の結晶ですね。
繰糸工場を出て、その他の建物を巡りながら正門に向かいます。
片倉工業はなかなかのもので、この高等学園は、寄宿舎に入寮した職員が無料で学ぶことができる企業内学園でした。高卒資格がとれるようになっており、中卒で製糸場に就職した女性も多かったため、そうした女性たちが良妻賢母となるべく教育を行うことを自社の社会的責任と位置付けていたそうです。また、工場は昭和62年に閉場しましたが、片倉工業は「貸さない、売らない、壊さない」の方針を守り、工場施設を維持し続けていたとのこと。修復が必要になった場合も、コストを抑えることより当時の工法で修復することにこだわっていたそうです。(Wikipediaより)
【工員用の学校があったというのは、非常に先進的なことだと思います】
その他の建物もどうぞ。
【ここを作る中心となったブリュナさんの家】
【この左奥の方が主な建物ぽかったです】
【ネーミングが群馬らしくていいですね】
【手前の屋根が崩壊してます】
【ちゃんとしてますよね】
【今でも十分使えそうです】
【現在でもつかわれているのか】
【ここを仕事場にするって、どういう気分なんでしょう】
これらの建物を巡りながら、正門に戻ってきたのはこの時刻。11時半に入場しましたから、およそ2時間半の滞在でした。さすがに小僧が飽きてしまって「ご飯、ご飯」と言っていたので後半はやや駆け足でしたから、じっくり回れば3時間以上楽しめるかもしれません。
【この時は30℃でしたね】
ーーーーー追記ここまでーーーーー
では、朝食作って食べて出発です。