From Shizuoka to everywhere(^^)/

A to Z社のキャンピングカー『アミティ』の購入をきっかけに始めたYahoo!ブログの閉鎖に伴い、はてなに引っ越してきました。我が家のお出かけを中心に徒然と記事を書いています。我が家は私・かみさん・小僧という家族構成です。それぞれの趣味趣向が表れると思いますが、主に私・かみさん:キャンプ・スキー・山登り・自転車・旅行 私のみ:マラソン 小僧:鉄道 という方向性になっております。お付き合いいただければ幸いです。 ブログ名にあるように、静岡在住です。

走って歩いて遊んだ5日間 ~そういえばテレビで見たような~

昨日の結婚式は、同僚の子の人柄がよく表れた結婚式で、とても楽しいひと時を過ごすことができました。ついつい、自分の結婚式を思い出したり、別の同僚の若い子は
「自分も結婚式がしたくなりました」
と言ったり。

いい結婚式だったと思います。食事もとてもおいしうございました。

さて、1か月前のことを書き綴ってきましたが、いよいよ終わりが近づいてきました。道の駅川場田園プラザを後にして、いよいよ帰路に・・・の前にひとつ、寄るところがありました。

田園プラザ周辺の地図を見ると・・・
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【上の方に注目】

SL(D51)やら、ホテルSLやらの字が見えます。下には、ホテルSLまで約830mと。

最初は歩いて行って帰ってこようかと思いましたが、往復1.7kmを歩くと30近く消費してしまいます。さすがに時間を節約せねばと思い、ホテル近くの駐車場まで車で移動して、見終わったらそのまま帰路につくことにしました。

というわけで、マップにある「つくるべの家」の吹き出しのところの駐車場にアミティを停めてホテルSL(現在は『ホテル田園プラザ)へと向かいました。
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名主の館は郷土料理のお店となっています】

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豪農の館だったそうです】

さて、マップを見ただけだったので、川沿いに行けばSLにたどり着くかと思い、駐車場からまずはふれあい橋に行き、そこから川沿いにむかおうとしました。ところが、橋に行ってみると、川沿いの道まではずいぶん高低差があり、どうやらSLにはこのルートでは行けないことが判明。

橋の途中まで行ってみましたが、景色はとてもすばらしくなる一方で、SLはさっぱり見えずでした。
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田んぼアートが作られていました】

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【川の隣には川場フィッシングプラザがありました】

しかたないので引き返し、名主の館の敷地を抜けて歴史民俗資料館の前の中央公園を横切り、ホテルに到着。
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【いかにも昔の学校とその校庭です】

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【ホテルには、SLを模したバスが待機中でした】

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【SL Diningとありますね】

ホテルはきれいな外観でした。2017年6月24日に、「SLホテル」から「ホテル田園プラザ」に名称変更したそうです。

ランチビュッフェは大人1650円、子供1000円とリーズナブル。バイキング付きの宿泊も、大人10000円~、子供7000円~と、まずまずの値段です。

じいじ、ばあばなどを連れての家族旅行だとアミティは使えないので、そうした時には利用したくなるようなホテルですね。
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【その奥に見えるのが・・・】

そのホテルの隣に静態保存されているのがこちら。
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【以前は圧搾空気で動いていました】

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【とてもきれいに保存されています】

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【以前はこちらを客車として利用していたそうです】

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【運転席も、とてもきれいでした】

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【銘板もきれい】

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【残念なことです】

実は、この圧搾空気でSLを動かすというのは、以前テレビで見た覚えがありました。その時は恐らく、御殿場線の「山北鉄道公園」に保存されていたSL、D52 70号機を動かそうというプロジェクトだったと思います。

その番組の最後は、プロジェクトの中心となっていた方が突然交通事故で亡くなり、今後が危ぶまれていましたが、なんとか計画を継続できるようにしていくといったところで終わったように記憶していました。

ただ、うろ覚えのため、こちらのD51のことかと思い込んでいたのですが、ブログを書くために調べてみたら記憶には間違いがあることが分かりました。

上に書いたように、テレビで扱ったのは山北鉄道公園のもの。しかし、その復活に携わっていたのは、この川場のD51を動かしていたのと同一人物でした。

その方の名前は恒松孝仁さんと言います。詳しくはググっていただければいろいろな結果が出ると思うのでそちらを参考にしていただければと思いますが、SLを圧搾空気で動かそうというアイデアを実現させ、実際に観光資源としての利用につなげたというアイデアと実行力を併せ持った方だったようです。

テレビで見た時も、
「どうしてこういう方が、早く亡くなってしまうんだろう・・・」
と最後に呆然としたものでした。

ちなみに、山北のSLは恒松さんの遺志を継いだ谷口剛史さんが中心となって、昨年から定期的に整備運行を行っているそうです。静岡から近いところなので、いずれ訪ねてみたいと思います。

というわけで、いよいよ帰路につきます。続きはまた明日です。