今日の静岡は暖かかったです。なんと20℃!通勤ランでは、アームカバーも手袋もいりませんでした。
でも、来週には10℃の予想も出ています。冬の気温ですね。でも、もう三寒四温の時期ですから、こうして繰り返して春がやって来るのですね。
今年は桜も早く咲くそうですから、再来週には花見かな。花見キャンプでシーズンインとかしたいですね。
さて、知多の旅は最終盤。半田赤レンガ建物を後にし、徒歩ですぐのところにある住吉町駅から名鉄での帰路です。住吉町駅からまず、金山行き普通列車に3駅乗って阿久比駅へ。
阿久比駅では、名鉄名古屋行きの特急列車に乗り換え。一気に神宮前まで乗車です。
神宮前駅で今度は、豊橋行きの特急に乗り換えです。神宮前駅では日本車両の建物が見えたので、思わずパチリ。
こうして、住吉町からぐるっと回ったにもかかわらず、特急を乗り着いたおかげで45分という短い乗車時間で知立まで到達することができました。
静岡には私鉄でもJRでも特急という概念がほとんどないので、このスピードは魅力的ですね。ホント、素晴らしい。
帰路は伊勢湾岸道から新東名を経ていく、いつもの帰り道。かみさんが、途中の浜松SAで餃子を食べたいというので、浜松SAに寄って帰りました。浜松SAまで1時間半、浜松SAで30分、さらにそこから1時間ということで、自宅到着は21時。充実した1日でした。
さてところで。昨日の最後に
『このカブトビールについては、調べてみたらいろいろ驚いたことが出てきたのですが』
と書いたので、蛇足ながら最後にカブトビールで驚いたことを。
カブトビールは初め、丸三麦酒醸造所というところを立ち上げて作られ始めたのですが、この丸三麦酒醸造所を立ち上げたのは、中埜又左衛門と盛田善平というお二人。
中埜又左衛門さんは、中埜酢店(今のミツカン)の4代目の中埜又左衛門さんになります。そして盛田善平さんですが、この方は4代目中埜又左衛門さんの甥にあたります。どういうことかというと、4代目中埜又左衛門さんというのは盛田家から中埜家に養子として行かれた方なんですね。で、この4代目の弟の息子が盛田善平さんになります。
というわけで、ざっくり言うと、伯父さんと甥っ子の2人で始めたのが丸三麦酒醸造所。丸三って〇と三・・・ミツカンの商標ですよね。言うなればミツカンビールとも言えましょう。
その後、加武登麦酒(カブトビール)へと名前を改め、1900年のパリ博覧会では金賞を受賞するなど隆盛を誇りましたが、その後、東武鉄道や南海鉄道(現・南海電気鉄道)など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わり、「鉄道王」とも呼ばれる根津嘉一郎さんに譲受され、企業統合や企業整備令などもあって、昭和18年にはカブトビールの生産は終了します。
しかし、4代目中埜又左衛門さんはこうした異業種参入なども経ながらミツカンを育て上げ、盛田善平さんは敷島製パンの創立者となり、今に続く会社を作り上げていきました。ていうか、敷島製パン(パスコ)とミツカンが関係あったとは知らなかったです。
さらに。
盛田善平さんの家系は、盛田本家からの分家なのですが、この盛田本家も酒類・醤油・調味料・味噌を製造する醸造会社として現在も存続しています。『ねのひ』というお酒を聞いたことがあるかもしれませんが、この盛田の商品です。そしてこの盛田グループが、ビール製造の規制緩和をきっかけとして作り始めたのが、我が家でも評価の高い『盛田金しゃちビール』です。1年前にも購入しており、2年前には飲んでましたw
totsuspo.hatenablog.com totsuspo.hatenablog.com
まさかの、ミツカン始まりにパスコが加わり、金しゃちビールにつながると。
さらにさらに。
この盛田本家の15代当主は、昭夫さんといいます。盛田昭夫・・・。そう、あのソニーの創業者の盛田昭夫さんなのです。私は今、スマホでお世話になっております。
分かりやすくまとめられた家系図がネット上にあったので、載せておきましょう。
というわけで、お酢に始まり、ビールにつながり、最後はソニーで締めると。尾張の知多はすごいところだなぁ、というかすごすぎる、と驚くというより感動して知多の旅は締めくくりたいと思います。
コロナ騒ぎがおさまったら、今度はキャラバンで何日かかけてじっくりと回りたいです。