昨日は結局、あれこれ済ませて帰宅したのは21時過ぎ。
山中湖を出たのは17時前だったので、すんなり帰れば18時半ごろには到着の予定だったんですが、高速の事故あり、お店の満員ありといろいろ時間を取られる事象があり。
また詳しくご報告しましょう。
ところで昨日、実は軽いぎっくり腰のような症状が出たのですが、まあ大丈夫だろうということで山中湖ジョグは敢行。結果として悪化はしていませんが、腰の違和感は残っています。先月・先々月と連続した月間200kmランによる疲労からきているのかなと思いますが、そもそも普段の通勤ランはラン用のリュックを背負って走っているので、腰への負担は溜まっているものと思われます。
しばらく違和感がある間は自重すべきか・・・。とりあえず今日は自動車通勤です。
さて、駿府城報告、もう少し続きます。
展示はいよいよ現代の駿府城に入ってきます。
明治時代に入ると、各地の城が廃されました。駿府城も例外ではなく、静岡市に払い下げられたあと、静岡市が誘致した『歩兵第34連隊』の駐屯地となりました。
駐屯するにあたって、恐らく邪魔になったのでしょう。天守台が壊されるとともに、本丸堀は埋められ、平成の終盤になるまでの100年間、私たち市民の目には触れないどころか、痕跡すら見ることはありませんでした。
子供の頃の駿府城というと、当時は『駿府公園』と呼んでいましたが、児童館・テニスコート・野球場・児童遊園などがあり、歴史を感じられるのは、今も残る家康像とその隣にある家康公お手植えミカンくらいでした。
最後に、これからの駿府城。
さて、最初に入った東御門は見られるのが1階だけでしたが、巽櫓は2階にも上がれるようになっています。
2階の展示は大きく分けて2つ。まずは、建設中の『静岡市歴史文化施設』について。
もうひとつは、家康公手習いの間の復元。
こうして、数ある展示を楽しみました。
続きはまた明日です。