From Shizuoka to everywhere(^^)/

A to Z社のキャンピングカー『アミティ』の購入をきっかけに始めたYahoo!ブログの閉鎖に伴い、はてなに引っ越してきました。我が家のお出かけを中心に徒然と記事を書いています。我が家は私・かみさん・小僧という家族構成です。それぞれの趣味趣向が表れると思いますが、主に私・かみさん:キャンプ・スキー・山登り・自転車・旅行 私のみ:マラソン 小僧:鉄道 という方向性になっております。お付き合いいただければ幸いです。 ブログ名にあるように、静岡在住です。

「この日のこと」のこと

さて、きょうはどうかなっと。

はい、改行してみたら、今日は全角のままです\(^O^)/ヤター

というわけで、地味に不便な件は、電源を落として翌日には解決ということになりましたw あぁ、よかったw

ホッとしたところで、本日も夜の更新にはなりましたが、この後、小田さんへの熱い思いが語られると思いますので、興味のない方はスルーでお願いします('◇')ゞ

(追伸:以下を書き終えてから戻ってきましたが、うまくまとまらなくて、ホントにグダグダした文になってます😢)

一昨日、「語るとだいぶ長くなりそう」ということで先送りにした「この日のこと」という小田さんの曲について。

この曲が、毎年年末に放映される『クリスマスの約束』のために書き下ろされたということは前回触れましたが、Wikipediaにもかなり詳細に説明されています。いつもならリンクを貼るところですが、今回は引用させていただきましょう。

この曲は、小田和正がメインで出演するクリスマスの音楽番組『クリスマスの約束』(TBS、2001年〜[1])のテーマ曲として制作された。

「アーティスト同士がお互いを認め、愛し、尊敬すること」という番組コンセプトに沿ったテーマ曲制作のため、小田と親交の深いアーティストや、若手アーティスト等に協力を呼びかけ、これに応えた20組(小田を含めて21組)がボーカルで参加、第1回放送の2001年に録音され、番組の最後でレコーディング風景の映像と共に流された。

この日のこと - Wikipediaより)

また、この曲が生まれるきっかけになった番組、『クリスマスの約束』についてのWikipediaには、以下の説明も。

2001年発売セルフカバー・アルバム『LOOKING BACK 2』のヒットを受けてTBSスタッフは小田和正に『うたばん』への出演オファーを出した。小田はそれを辞退したが、小田がメインの番組を作りたいとするスタッフの諦め切れぬ思いから「全く新しい形の音楽番組を作りたい」とTBSが小田に持ちかけ、小田をメインアーティストに「アーティストがお互い認め合えるような番組」を目指し阿部龍二郎チーフプロデューサー(現:TBSテレビ取締役)をはじめとする『うたばん』と同じスタッフで企画・制作された。

小田がTBSのテレビ番組に出演するのはオフコース時代の1982年9月29日放送『日立テレビシティ・オフコーススペシャルNEXT』以来、19年4か月ぶりである。

番組制作に当たり有名アーティスト7組に出演依頼するも、そのすべてから出演を辞退され、納得できないスタッフを小田が説き伏せる形で単独ライブ形式の公開収録を行った。その後リクエストに応じ再放送されて以後、毎年制作・放送されている。

番組のコンセプトである「アーティスト同士がお互いを認め、愛し、尊敬すること」は、オフコース活動休止中の1982年に小田が考えた『日本グラミー賞構想』が基になっている。それについてはエッセイ『TIME CAN'T WAIT』(1990年12月25日初版、朝日新聞社)での"僕の挫折"という章で触れている。

クリスマスの約束 - Wikipediaより)

ちなみに、このエッセイ、持っておりまして。

【今も中古なら入手可能なようです】

【買ったのは発売から2年後の第8版】

【僕の挫折】

購入したのは高校生か浪人生か大学生か。いずれの頃か分かりませんが、多感な時期だったことは間違いありません。

その頃の私にとって小田さんというのは、すでにベテランの域に達しており、オフコースというバンドの活躍からソロ活動での「ラブストーリーは突然に」の大ヒットなど、「成功された方」、今風で言えば「勝ち組」なんでしょうか、そんな軽い言葉では済まないんですが、そんなイメージがありました。

そもそも、当時受験生(もしくはそれが終わったばかり)であった自分にとっては、東北大学の工学部から早稲田の大学院に進むという経歴そのものが、その困難さを如実に実感できるだけに、尊敬の対象でありました。そんな小田さんが「挫折」って。そう思って読んだこの項のことは、クリスマスの約束が放映される以前から、記憶に残っていました。

どんな挫折だったか。

本編をざっくりと紹介してみると、「アーティスト同士が互いに称賛しあう」ことを目的に、日本版グラミー賞の創設を模索した小田さんが、様々な人と話を重ねていきます。時間をかけ、多くの人からの賛同を得ることができたのですが、ごく少数の反対の声を大きく受け取り、結果として先に進めなくなった、というのがその内容です。

小田さんがそんなことをやろうとしていたとは、と驚きもしたし、文中に「プラスを小さく、マイナスを大きく解釈する癖」と書かれていたことにも驚きました。それは、自分の中にあった「成功された方」というイメージとは全く異なるものだったからです。

off course=コースを外れた というバンド名を掲げ、フォークやニューミュージックというまとめの中に収めるには、ちょっと違うよなと感じられる音楽性を追求するなど、自分の選んだ道を信じて邁進している、そんなイメージがあった小田さんが、実はそうではない、迷ったり悩んだりすることもある、自分たちと変わらないんだと感じた項だったんですね。

それで、クリスマスの約束が初めて放映された時。ゲストは0人でした。小田さんが「今日は、誰も来ません!」と語ったことは、録画が見られなくなった(D-VHSというレアな媒体で録画してしまったため)今でも、とても印象に残っています。これは再びの挫折だったのかもしれませんが、長い目で見れば、その後の成功へと続くプロローグだったわけです。

そして、初めてのゲストが訪れた第3回のクリスマスの約束。この時にようやく、「あぁ、小田さんが模索していた日本版グラミー賞が、こういう形で現実のものになったんだ」と、10年が経ってから初めて理解することができました。そして、「この日のこと」の冒頭の歌詞。

ずっと uh ずっと 君のことが気になってた
いつの日か 会いたいと 遠くから 思っていた
こうして 今日 会えたね
何を言えば いいんだろう
来てくれて ありがとう
うれしかった ふるえるくらい

この歌詞は特定の誰かに向かってというより、全てのアーティストに向けて書かれたんだと思います。小田さんの思いがたくさん詰まっている、そう感じます。

初めて発表されてから21年。小田さんのソロボーカルで録音されたこの歌を聴きながら、毎日仕事に向かう道中、元気づけられております。小田さんでさえいろいろあるんだから、凡人である自分は何をいわんや、とw

さて、明日もこの歌に元気づけられながら、仕事に向かうとしましょう。