今日は、ファイターズの試合はお休み。唯一、パリーグのライオンズVSバッファローズが行われていましたが、この試合はT-岡田、足立、小田選手の引退試合ということで、独特の雰囲気でした。
それで、結果は有終の美・・・とはいかず。
今日のオリックス、打線は6回までフォアボール2つのみのノーヒットに抑えられるし、投手陣は今シーズンの西武の得点の中で3番目に多い9得点(1番目と2番目は4/7のファイターズと8/17のイーグルスの11得点)を献上するし。
T-岡田選手は、現役最後の打席が9回裏2アウトに回ってくるという劇的な展開でしたが、カウント1-1からの3球目にあわやHRという大飛球をかっ飛ばしたものの、最後はフォークボールにバットが空を切り、空振り三振で現役を終えたのでした。
大飛球は1分45秒ごろです。直後の打球はいい角度だったんですが、ドライブがかかって右に切れたようです。
ペナントレースも残り試合が概ねひとケタになってきたので、引退する選手の話題も徐々に出始めてきました。この後、ドラフトで新しい選手たちがまた新しいスタートを切ることにもなると思いますが、反対にプロ野球をこうして去っていく選手もいるんだなぁと、なんとなく寂しい気分にもなってきます。
そういえば、北海道を離れる時も、そんな気持ちになりましたねぇ。まだまだブログ上では先の話なんですが。
というわけで、まだ7日目。先を進めていきましょう。
念願のひとつだった東根室駅の探訪を終え、いよいよ釧路に向けて走り出します。
それで、素直にまっすぐ釧路に向かうのなら、国道44号線をひた走るのが正解なのです。距離も125kmしかありませんから、2時間ちょっとで到着できるはず。15時40分頃に東根室駅を出発したので、日没前の到着も可能でした。
しかし、何を思ったか、我が家がとったルートはそれよりも40kmほど長いルート。寄り道も存分にしましたので、釧路到着は19時20分頃でした。でもこのルートでよかったんじゃないかな。
まずは、この後の長丁場に備えてちょっとセブンイレブンに寄り道。
それで、なぜ道を挟んだ反対側にいるのかというと。
馬に吸い寄せられていたのと。
花咲線が数分後にやってくると知ったためでした💦
ほのかな満足感を得て、リスタート。ナビは繰り返し44号線の方に向かうように提案してくるのですが、それを無視して向かったのは花咲港です。花咲線から見た景色が印象的だったので、なるべく海沿いを走るルートで行けば、絶景に出会えるのではと期待して突き進んだのでした。
ところで、ここまでの道中で、こんなことをかみさんと話していました。
「駐車場がある所ってさ、けっこういい景色のところが多いんだよね」
そういえば、層雲峡に向かう途中で赤い橋を見たのもそうでしたし、羅臼のキャンプ場を出発してすぐ、国後島を目の当たりにしたのも道端の駐車場でした。
つまり、
『パーキングに絶景アリ』
なのです。というわけで、この道中で最初の寄り道はこんなところ。
ストリートビューでは見事に霧の中ですが、この日は青空が広がっており、周りの景色を楽しむことができました。
ちなみに半円の板には、ここから見える島について書かれています。
ユルリ・モユルリ島
根室市昆布盛より約2.6kmに位置し、海岸線の大部分は30~40mの絶壁をなし、岩礁で囲まれています。
大きさは、ユルリ島が面積168ha、周囲7.5km、モユルリ島が面積31ha、周囲3.0kmです。
現在は、無人島で、エトピリカを代表する北方系の海鳥の生息地となっており、昭和38年北海道天然記念物に指定されました。
また、植物も300種が生育しており、道自然環境保全地域にも指定されています。
入島することはできませんが、昔、人間が持ち込んだ馬が野生状態で生息しています。
とのことです。野生の馬、今もいるんですかね。興味深いです。
と思ったら、とても素敵なサイトがあるのでした。これはやばい。一見の価値ありです。
って、こんなことばかりしているので、また時間がかかってるんですが💦
私たちの知らなかった、人の営みが、こんなところにもあるんだなぁとしみじみ思うのでした。
次に向かったのは、まさかのテツスポット。
ここから15分ちょっと走ったところに、そのテツスポットはありました。
なぜここに寄ったかというと、小僧のリクエストによるものです。どうも、鉄道系ユーチューバーがここに寄った動画を上げていて、それで知ったらしい。
開業は1920年(大正9年)11月10日で、廃止は2019年(平成31年)3月16日。あと1年半もてば、100周年だったんですね。
上記画像は、Wikipediaより、廃止前の2018年9月に撮影されたものです。
現在の姿はこんな感じでした。
花咲線で通過しているはずなのですが、気づかなかったなぁ。まぁ、それも無理はないといった様相でした。
ちなみに場所はこちらになります。
実際にナビとして案内してもらってるのは、手前にぶら下がっている使い古しのスマホで、ダッシュボードのナビは現在地表示用なのですが、地図を更新してないので、まだ初田牛駅が現役で残っていることになっていますw 昨年も、廃止になったばかりの留萌駅が立派な現役の駅として表示されていて、タイムマシン気分に浸ったことを思い出しました。
この後、海岸線沿いに出ます。
この辺りの道には『北太平洋シーサイドライン』という名前が付けられていました。実際には十勝地方の広尾町から納沙布岬までの320kmの総称だそうです。
さすがJAFのサイト、ちょうど今回のルートがまとめられていました。ちなみに、我が家とは逆ルートです。
海岸段丘上のダイナミックな丘陵地帯を堪能することが目的であるかのように、道はアップダウンを繰り返しながら、次々と新しい景色を目の前に展開してくれます。
丘陵の緑のじゅうたんと、すぐ横の海の白い波しぶきとが、これでもかというくらいに視界に広がってきて、稚内に向かうオロロンラインとはまた異なる北海道の魅力を味わわせてくれました。
その様子をしばしご覧あれ。
さて、浜中町と言えば、既出のモンキーパンチさんなのですが、ここに移り住んだ方で有名な方が2人います。
1人は、モンキーパンチさんが働いていた病院の医師である道下俊一さん。この方は、僻地医療への貢献で吉川英治文化賞を受賞された方です。
もう1人はムツゴロウさん。私が敬愛してやまないおじさま方の1人。他には池波正太郎さんとか小田さんとかなんですが、その中では最も破天荒な方と言えましょう。
亡くなった時に、こちらでも取り上げています。
この、ムツゴロウさんがかの『動物王国』を作ったのが、この浜中町でした。そして、その前に1年間移り住んでいたのが、霧多布の沖に浮かぶ嶮暮帰島(けんぼっきとう)。この無人島で、ヒグマとともに暮らした1年間は、『ムツゴロウの無人島記』にまとめられています。
実家の本棚の一番左に2冊並んでいるのがそうです。
この本の中で、何度も目にしていたのが嶮暮帰島という名前でした。ひょっとしたら、実際に自分の目で見られるんじゃないか・・・と、この辺りで運転しながらドキドキしていたのでした。
といったところで、だいぶ長くなってますので、また続きは明日です。ちょっと思いが濃すぎてあふれ出ちゃってますね💦