涼しくなってきたし、いろいろ落ち着いてきたから、通勤ランを再開するかぁということで、走り始めているんですが、今日はそこそこ暑かったです💦
朝はまだしも、帰りはまだ27℃近くあった模様。
しかも最高気温31.4℃って。この時期、平年値だと最高気温は25~6℃ですから、やっぱりだいぶ暑いですね。
予報では、今日・明日が最後の30℃台で、このあとはぐっと秋めいてくるみたいなので、そこに期待したいと思います。
さて、北の大地の9日目、足寄の道の駅はチー様(松山千春)が目的だったのですが、思わぬテツ要素に出会ってそちらの方がメインになってしまいまして。
小僧のリクエストもあり、あしょろ銀河ホール21を出発したら、次の目的地を『道の駅 ステラ★ほんべつ』に定めました。なぜかというと、この本別の道の駅はふるさと銀河線の旧本別駅でして、当時使われていた駅舎をそのまま道の駅として使っているだけでなく、古い跨線橋も残っているという情報をどこからか入手したから。
足寄から本別まではだいたい15km。20分もかからず着きそうだなぁと思いながらアミティを走らせていたら、突然気になる看板が目に入りました。
仙美里鉄道資料室?仙美里鉄道っていうのがあったのか?それとも、仙美里にある鉄道資料室か?ていうか、仙美里ってどうやって読むの?
などと考えているうちにあっという間に100mは過ぎ、ええい、ままよと曲がり角を左折して寄り道することにw
するとその奥にあったのはこちらの建物でした。
というわけでお分かりかと思いますが、こちらはふるさと銀河線の旧仙美里駅。仙美里は「せんびり」と読むのですね。
ここ自体は、Googleマップにも記載がありません。
真ん中にバス停のマークが見えると思いますが、その右下にある白っぽい建物がこの旧仙美里駅駅舎になります。今は、バスの待合として利用されているようです。自分たちが行った時はバスもおらず、人も全くいない状態でしたが、1日に18本のバスが来るようですから、賑わう時間も少しはあるのかもしれません。
中に入ってみると、とてもきれいに整備されていて、訪れないのがもったいないくらい。
おざなりの展示じゃなくて、けっこうしっかりお金をかけて作っているんだなというのが伝わってきます。
もう、このデザインからして、しっかりお金をかけて作ったんだなぁというのが伝わってきます。地元の人が、ここに鉄道が走っていたんだということを大事にしているんだなと思うと、ちょっと切なくもなったり。
そんな中、最も切ない気持ちになったのがこちら。
折しも、今年のパリオリンピックの総合馬術団体で銅メダルを獲得したばかりですが。
上記の記事の最後に、こんな内容が書かれています。
日本は総合馬術では史上初となるオリンピック銅メダルを獲得、また馬術の団体戦では初のメオリンピックダル、さらに馬術オリンピック3種目を通して、ロサンゼルス1932の障害馬術個人で金メダルを獲得した西竹一以来、92年ぶりのオリンピックメダル獲得の快挙となった。
この、92年前の金メダリストの西竹一さんこそが、上の写真のバロン西その人なんです。
解像度を落としているので、上の写真の文字はつぶれてしまって見られませんし、内容をすべて文字起こししたらえらい時間がかかってしまうのでできませんが、解像度を落とす前の写真から黄色の小見出しの部分を拾うと、こんな感じです。
- わすれられぬ英雄バロン西
- バロン西伝説
- 家族
- 馬術の天才
- 名馬ウラヌスの出会い
- ロサンゼルス・オリンピック
- 優勝の後
- ベルリン・オリンピック
- まぼろしの東京・オリンピック
- 軍馬補充部 十勝支部
- 硫黄島へ
- 硫黄島血戦
- 永遠の友
- 遺品
バロン西こと西竹一は、騎手としての腕前に加えて、名馬ウラヌス号と出会うことにより、ロサンゼルスオリンピックの障害飛越競技で金メダルを獲得します。この出来事はアメリカの人たちの琴線にも触れたのか、ロサンゼルスタイムズは一面で優勝を報じ、ロサンゼルス市議会では名誉市民とすることが決定されたそうです。
次のベルリンオリンピックでは、体調不良とウラヌス号の加齢もあり思ったような成績は残せませんでしたが、それでも団体6位入賞に貢献したそうです。
その後は満州の部隊に配属されたり、軍馬補充部十勝支部員としてこの仙美里に配属されたりした後、あの硫黄島への配属となります。硫黄島の戦いは、守備隊の日本兵のうち95%が戦死したというすさまじいもので、その亡くなった中の1人がこの西竹一でした。そして、その死の1週間後に、あとを追うようにウラヌス号もその一生を終えたそうです。
バロン西のことは知っていたのですが、この仙美里に配属されていたことはここで初めて気づきました。
仙美里での生活は印象深いものだったようで、放牧している馬がヒグマに襲われたと聞いて、そのヒグマを狩りに出かけ、見事仕留めた写真を家族に送っていたとか、釣り好きでイトウ釣りを楽しんでいたとかという話が伝わっているそうです。
他、詳しくはこちらのサイトへ。
というわけで、テツから今度は馬へと行ってしまいましたが、話を戻しましょう💦
建物の裏に回ってみると、駅舎だった面影が残っていました。
「間もなく、列車が参ります。黄色い線の内側に下がってお待ちください」とよく言われる、黄色い線になるブロックがこちらでしょう。
それにしても、思わぬところで、思わぬ出会いがあったものです。こんな駅舎の跡が残っていることも知りませんでしたし、バロン西のお話と出会うとは、もっと思ってもいませんでした。
計画通りではない行き当たりばったりの旅は、忘れモノもしますが、こうして素敵なものと偶然に出会ったりもします。と、無計画を正当化してみたり💦
でもホント、バロン西の話には(どこで知ったのかは覚えてませんが)元々興味があったので、展示物をけっこう詳細に読み込んでしまいました。
というわけで、15分ほどでしたが、この規模では十分といえる時間を費やして、今度こそ本別へと向かうのでした。
といったところで、文字数も時間もいい感じになりましたので、続きはまた明日です。