夏前あたりから体調を崩し、8月は病院、そして退院後は介護老人保健施設で日々を過ごしていました。
だんだんと食が細くなってきてはいましたが、しばらくは、お見舞いに行けば話すこともできたし、耳も口も達者なままでした。
1週間ほど前から、付き添っていた両親から
「点滴が入っていかない」
「血圧が落ちてきた」
という情報が入るようになり、自分も可能な限りお見舞いに行くようにしていました。
亡くなる前日にも見舞いに行き、
「また、明日来るからね」
と言いおいて帰ってきました。
本当に、明日も会えるつもりでした。
でも、それが祖母に会った最後になってしまいました。
亡くなった当日は仕事がありましたから、会える限りは会えたんだと思うようにしていますが、
「もう会えない」
という事実は、とても重いものがあります。
これからは、実家に行っても、祖母の部屋の主はいません。
がらんどうの部屋があるだけです。
いずれ、その状況にも慣れていくのでしょうが、今はまだその時ではありません。
徐々に徐々に慣れていくんだと思います。
ところで。
子どもの時に葬式に出たときに、
「なんでお葬式なのに、みんなでご飯を食べて笑ったりしてるんだろう」
と思っていました。
この年になると分かります。
葬式は別れの場ですが、再会の場でもあります。
ふだん、なかなか会うことのない親戚が一堂に会するので、今回も久々に会ういとこ、そして初めて会う、いとこの息子に会うことができました。
子供の頃には、実家である祖母の家に集まって年末年始を過ごすのが恒例でした。昨夜の通夜の後には、その時の思い出をみんなで話しながら、はとこ同士になる子どもたちが遊んでいるのを眺めていました。
それはそれで、楽しいひと時でした。
今日も葬儀の後、お骨になった祖母が帰りたがっていた実家にようやく連れて帰り、別れを惜しむ子どもたちが楽しそうに遊ぶのを、みんなで笑いながら見ていました。
「私の葬式の時には、みんなでにぎやかにやってほしい」
そんな祖母のささやかな願いの通りの葬儀になったと思います。
おばあちゃん。
どうぞ安らかに眠ってください。