大晦日から3泊4日の実家の旅。ようやく自宅に戻ってきました。どちらの実家でも楽しく過ごしてきたのですが、やはり自宅の落ち着きというのはありますね。PCでネットが見られるというのが特に(´▽`)
さて、正月2日、3日と言えば箱根駅伝なのですが、今年は往路の中継点で、タスキリレーミスがあったということで、以下のような記事がネットを賑わせていました。
NAVERまとめにも同じような論調の記事がありましたが、果たして選手がいないのは、本当に運営側の不手際なのでしょうか。
自分も毎年駅伝に出させてもらっていますが、タスキ渡しのラインに立つのは最終的には選手の責任だと思っています。そこでミスが無いようにするために、自分のところにいつ頃タスキが来るか、仲間と互いに「どれくらいで走れそう?」と確認したうえで余裕を持った到着時刻を設定し、その時刻に合わせてアップをしたりトイレを済ませたりしています。高校生の時から恐らく4~50回ほど駅伝には出たことがあると思いますが、今でも中継のスタートに立って受け取るまでは、何か落ちがないだろうかと緊張します。
ましてや、箱根駅伝を走っているのは学生です。中学・高校の時は大人のサポートも厚かっただろうと思いますが、大学生になったら自己判断の部分が大きくなります。それをやり始めたまだ初期段階のところだと言ってもいいでしょう。それに、そもそもあの大舞台ですからギリギリまで自分の納得いく準備をしたいでしょうし、突然の尿意・便意もあるかもしれません。何らかの間違いがあっても当然だと思います。
とは言え、私たちが出ている草駅伝と違って、箱根駅伝は選手がどのあたりを何分くらいで通過したかなんて情報は簡単に手に入ります。我々よりはるかにタスキが来る時刻は予想しやすいはずですから、タスキリレーでミスした選手は監督に怒られてると思います。運営のせいだ、なんて言う選手やスタッフはいないと思いますし、万が一、そんな選手やスタッフがいたら、「思いあがるな!」って怒られるはず。いや、そうであってほしいです。
個人的には、そういうことを行うことまで含めて駅伝だと思います。スタートの時刻が決まっていて、それに合わせて動けばよいレースと違って、全ての選手のスタート時刻が異なってくるというところが一種独特。そうしたところまで読んで走らなければならないという特性をもった競技だと考えるべきなのではと。
というわけで、なんでもかんでも、運営側にお任せにするのは甘いんじゃない?と思った次第でした。どこかに、そういう観点の記事は出てこないものですかね。探してみたいと思います。