梅小路京都西駅に降り立ったら、かみさんと小僧が待っていてくれました。到着予定時刻を知らせていたからで、こうした時刻があてになるというのは、日本の鉄道の本当にいいところだと思います。
この日はとりあえず、方広寺の鐘を見に行くことは決めていたのですが、問題は荷物。すぐ近くの宿を予約していたので電話をしてみたところ、本来のチェックインは16時からですが、準備ができそうなのですぐに来てもOKと返事をいただいたため、荷物をもってまずは宿に行くことにしました。
今回お世話になるのは『壬生宿 MIBU-JUKU 七条梅小路』さん。長屋づくりだったところを1棟の宿にしたといった感じで、七条通沿いにあります。駅から歩いて6~7分程度と立地に恵まれていて、とても使い勝手の良い宿でした。
宿の紹介はおいおい、また後でということで、荷物を部屋に置かせてもらったらさっそく次の目的地へと向かいます。
バスを乗り継いでいこうかとも思いましたが、とりあえず京都駅までは歩いて行ってしまうことに。その途中、昼食をとろうということで、ちょうど通りがかったラーメン屋さんにお邪魔しました。
何の気なしに寄ったお店ではありましたが、いかにも京都ラーメンといった味と香り。スープがおいしく、危うく大量摂取してしまうところでしたが、血圧やらコレステロールやらのことを考えると、ここは我慢しかありませんでしたw
お店で食べるラーメンというのも久々だったので、なおさら格別でした。
ここからさらに歩を進めます。京都にはずいぶんたくさん来ていますが、この辺りの界隈を歩くという経験は全くなかったので、とても新鮮でした。
西本願寺の隣を通り過ぎると、駅方面へ。途中あやしい遊歩道がありました。こういうカーブを描いているところは、暗渠になった川か鉄道の線路跡というのが多いと思いますが、こちらはいかがでしょうか。少し調べてみたけれど、分かりませんでした。ちなみに場所は、こちらになります。
駅に向かってさらにてくてく歩いていくと、新選組の最後の洛中屋敷跡というのを発見。歴史のある町は、こういう史跡がいたるところにあるので面白いですね。地元の静岡にもちょこちょこあるのですが、「こんなところにあったんだな」と思わぬところで出会ったりすることが多いです。
こうして、ひと駅分街並みを楽しみながら京都駅前のバスターミナルへ。ここから、三十三間堂方面へと向かうバスに乗って方広寺に向かいました。
三十三間堂自体は過去にも行ったことが何度かあるのですが、すぐそばにある方広寺にはこれが初訪問。不思議なものです。小僧が言い出さなければ、行く機会はなかったかもしれません。
方広寺は、元々は広大な土地を有した大寺院でしたが、現在は往時をしのぶ面影はありません。ただ、豊臣氏滅亡の引き金となったとも言われる鐘が、東大寺、知恩院のものと合わせて日本三大名鐘として残っている、それだけが往時をしのばせるものとなっています。この鐘はとにかく大きいことに驚きました。
こうして現物を目の当たりにすると、権力を巡って起こる出来事というのは、こんなたった8文字からでも大きな出来事になるものなのだなと感じました。なんとも恐ろしく、そして悲しいものです。
次に、お隣の豊国神社に向かうのですが、続きはまた明日です。