3日後に人間ドックをひかえております。
というわけで、ここ1週間、急ピッチで身体の仕上げをw
いえ、今月は9日までで38km走っていたので、そのペースで行けば130kmくらい走れてる予定だったのですが、例の日焼けの影響が大きく、その後1週間休んでしまったため、月の半ばを過ぎた時点でまだ46kmしか走っていませんでした。
というわけで、日焼けも癒えて走れるようになってからは急ピッチで走り込み、ここ5日間で47.5km走りましたw
ただ、あんまり急ピッチで進めると故障の元なので、あとは明日と明後日をどう過ごすかですね。明日は通勤ラン、明後日は自転車通勤というのがドック的にもベストかもw
あとは、残り8日間で50~60km走れれば御の字ですかね。それでも140~50kmくらいにはなるかな。うまいこと仕事と折り合いをつけて、月間200kmくらい走れると、また身体が変わって来るとは思うんですが、今のところはこれくらいで折り合いをつけるのがやっとという感じです。
さて、東府やさんの報告の続きとまいりましょう。
足湯ベーカリーで昼食を楽しんでいたら、ちょうど食べ終わる頃になってかみさんの実家のメンバーから到着の連絡が。それではいったん合流しましょうということで、部屋に戻りました。
合流後は、今年の2月から宿泊者専用ラウンジとなり、ワイン・ビールを含む飲み物がフリーでいただける『大正館芳泉』に行くことにしました。
こちらの大正館芳泉、サイト記載の説明にはこう書かれています。
大正時代、明電舎の会長が当時のセレブリティたちをもてなす社交場として誕生したのが大正館芳泉でした。
和洋融合したノスタルジックな趣の空間には、大正浪漫の影響と当時ヨーロッパ・アメリカで流行していたアールデコ様式が残っています。当時多くの芸術家たちが魅せられ取り憑かれたように、私たちもアールデコに魅了され、この歴史ある空間のリノベーション・コンセプトに掲げて、「大正館 芳泉 カフェアールデコ」が誕生しました。
合理性と機能主義一辺倒の現代、その枠組みができた1920年代(大正時代後期)に芸術家たちは、その後の時代への警鐘を鳴らすかのように、機能的でありながらも装飾美を兼ね備えた革新的装飾スタイル、アールデコを生み出しました。
当時の人々を魅了したアールデコの意匠を凝らした空間は、訪れる人々を 新鮮な驚きと忘れていたものを思い出したような気持ちにさせます。
ちなみに、芳泉というのは、以前東府やさんの隣にあった宿の屋号だそうです。いくつか印象深いブログ記事がありましたが、こちらを紹介させていただきます。
というわけで、芳泉さんのエリアに出発です。
以前の芳泉さんは、この本館を中心に、離れの部屋が3つ。ご夫婦で経営されていたそうです。中もだいぶ改装され、以前の建物の面影は外観だけのようです。
中に入ると係が出て来て、宿泊の方かどうかを尋ねられますので、部屋番号を告げて中へ。内部は、大きな部屋が3つとドリンクコーナーになっています。
こちらは、我が家も含めて宿泊客で埋まっていたので、この時は内部の写真は撮らず。
以前の宿の様子から見ると、中はかなり手を入れられてますね。この神殿のようなところはお風呂だったのかも。
かみさんが一番楽しみにしていたビールのサーバーもこちらにありました。ちなみにこの場所は、以前は湯上り処でソファが置かれていたようです。
2階は、朝食で洋食を頼むと入ることができるそうですが、この時間帯は立ち入りできませんでした。以前はピアノが置いてあって自由に弾いたり、卓球を楽しんだりすることができたとか。
ところでこの東府やさんのある吉奈温泉は、伊豆でも最古の温泉で、あの行基によって開湯されたそうです。その後、徳川家康の側室であるお万の方が入湯し、後の紀州大納言頼宜と、水戸中納言頼房を授かったことから、子宝の湯として知られているとか。
そして、その家康が隠居地に選んだ静岡市~駿府からみて東にあるということで、駿府の東、東府やという屋号になったとか。
というのを、アールデコの中で流されていた映像で知りましたw
こちらでのんびり過ごしましたが、雨がちょうど小止みになったタイミングで部屋に戻ることに。
ところでこの日は夕食の時刻を遅い時間帯にしてもらっていました。カフェでの昼食が15時ごろまでかかりましたし、ここでもフリードリンクを楽しむ予定でしたから、16時過ぎまでこの大正館芳泉にいたとはいえ、まだ3時間半ほど時間があります。
となったらやることはひとつ。お風呂でしょうw
ということで続きはお風呂報告です。