能登半島地震から2週間が過ぎました。
昨日は被災地を岸田総理が訪問したとのことでしたが、今日は予想通り、批判的な論調がテレビもネットもにぎわしていますね。もう分かりきったことだから、わざわざ報道に乗せなくてもいいのに。
批判的に捉えるポイントは主に2点で、『来るのが遅い』『パフォーマンスでしかない』といった意見ですが、東日本大震災のときは菅直人元首相が翌日に福島第一原発に行ったらそれも批判の的になってましたし、総理大臣が現地に行ったところで大して役に立たないのはどの総理でも変わりありませんから、結局、いつ誰がどのようにして行ったところで『遅すぎる・早すぎる』と言われ、『来ても役に立たない』と言われるんだろうなと。
もちろん、そういう人ばかりでないということも分かりますが、なんか全体的な論調はそっち側(批判しやすい方)なんだよなぁと感じます。
他に、初動が遅いとか、自衛隊の投入が遅い&少ないといった意見も多く見られます。
ただ今回って、地震直後の現地の情報量が、阪神淡路大震災に比べても東日本大震災に比べても、圧倒的に少なかったんですよね。
阪神淡路大震災の時は、朝起きてテレビをつけたら、神戸の街が燃え盛っているのがいきなり映ったことを覚えていますし、東日本大震災の時は、リアルタイムで津波が街を飲み込んでいくのを見ていたことを覚えています。もう、その日その時に、「これはえらいことになったぞ」と伝わってきたんです。
ところが今回は、お正月だったということもあるのかもしれませんが、私自身、和倉温泉の予約を取り消す時にかみさんと、「2月くらいには行けるかもしれないね」なんて話していましたからね。3日か4日あたりまで、現地の状況というのはほとんどつかめてなかったように思います。
ですから、3日と4日のブログには自身のことを全く触れていません。5日になって状況がだいぶ分かるようになって、ようやく再び地震のことに触れています。
以前も書きましたが、状況がつかめなかったことの一因は、ネットワーク自体が損傷して、現地の方々がネットに接続することができなかったことではないかと思います。普通ならTwitterに状況がどんどん挙げられてくると思うんですが、今回はその動きもなかなか目立ちませんでした。同じような動画のコピーだったりシェアだったりばかりだったように思います。
もちろん、我々より多くの情報網を持っているべきなのが行政側ですから、私がTwitter頼みだったのに比べれば情報は多く入手されていてしかるべきだったのですが、実際どんなものだったのか。
こんな記事も見つけましたが、結局後付けの話だしなぁ。ことが起きてからならいろいろ言えるんですよ。競馬だって、レースが終われば勝ち馬がなぜ買ったのか、理由付けはいくらでもできるんですけど、問題は、馬券を買う前にはそれが分からないってところなんです。
私たちは神様じゃないんだから、先のことをそう簡単に予見できるわけでもないし、それでいて終わった後ならいくらでも説明ができちゃいます。競馬なんてのはそのギャップを楽しむものでもありますし、世の中の大半のことはそんなものでしょう。
ですから、後付けでやいのやいの文句を言っても、そんなの当たり前のことばかりであって、問題は、次に同じ問題が起こる前に何をしておくべきかです。安易に批判・避難に走らず、先のことを見据えた報道をしてほしいものです。
と、前置きがけっこう長くなってしまったので、本題の方はちゃっちゃと進めていきたいと思います。本末転倒だわ💦
さて、あべのハルカスから北側と西側の展望を楽しみましたので、今度は南側となります。その前にヘリポートの下にはこんなことが書かれてまして。なぜか小僧が喜んでおりました。
手前の高速道路沿いに広がっている敷地は『大阪市設 南霊園』でした。
さて、今度は東側へと回ります。
60階はこれで一通り見られたので、下に降りてみることにしました。
更に下りて58階へ。
せっかくなので我々も家族で記念写真を撮りましたが、こちらには掲載無しでw
その後はそろそろ下りようかということで、いったん59階に行き、そこから下りエレベーターで16階へ。
それなりにいい時刻になりつつあったので、新世界を目指して歩きだしました。
あべのハルカス、眺望は抜群ですし、やはり高いところから街を見るのは、理由なしに楽しいw ヘリポートツアーやエッジザハルカスなどにも行ってみたいなぁと思うと、これは再訪ありかもしれませんねw
さて、ここからは新世界へと向かいますが、きょうはこんなところで。続きはまた明日です。