From Shizuoka to everywhere(^^)/

A to Z社のキャンピングカー『アミティ』の購入をきっかけに始めたYahoo!ブログの閉鎖に伴い、はてなに引っ越してきました。我が家のお出かけを中心に徒然と記事を書いています。我が家は私・かみさん・小僧という家族構成です。それぞれの趣味趣向が表れると思いますが、主に私・かみさん:キャンプ・スキー・山登り・自転車・旅行 私のみ:マラソン 小僧:鉄道 という方向性になっております。お付き合いいただければ幸いです。 ブログ名にあるように、静岡在住です。

北の大地へ2024 day06-02 ~北方領土に思いを馳せる時間を過ごしました~

今日はネットの調子が悪くて。

途中までは特に問題なかったんですが、楽天=西武戦を、クロームキャストを使ってRakuten TVで流していたのですが、途中で動画が突然ストップしてしまい、そこから再生不能に。

同時に、PCもネットにつながらなくなり、たまにデータが来たりはしたものの、こちらもほぼストップ状態に。

再起動すると、PCそのものの動きも悪く、3回ほど再起動を繰り返してようやく現在に至っています。

で、今も安定しているのかというと、ちょっと分からないんですよね・・・

怖いのは、こちらを書き上げて、「あとはアップしておしまいだ」と『公開する』ボタンを押したら、そのままストップ・・・っていうのが一番怖い。

文章だけでもコピペして、別のところにとっておいた方が良さそうです。

【こんな感じで、とりあえずメモ帳かな】

今、この画像があげられてるってことは、ネットにちゃんとつながっているということだと思いますが、さて、どこまで行けるものやら・・・

というわけでスタートが遅くなってしまったので、なるべくサクサクと進めていきましょう。本日は、昨日最後に紹介したこちらから。

北方領土館です】

この北方領土館は、標津町の施設ということになるようです。

中はだいぶ年季が入っていて、昭和を感じるところも少なくありませんでした。ただ、こうした施設があるということは、私たちのような、たまたま通りかかった者に北方領土のことを思い出させる機会になりますし、けして無くしてはいけない施設だと思います。

ちなみにこちら、道を挟んで反対側にあるラーメン屋さんと駐車場を共用しているとのこと。

【この日はまだお店はオープンしてませんでした】

【駐車場はこんな感じです】

左側がうちのアミティ。右側がポー川のところで見かけたアミティのご家族でした。

この写真は、私たちが北方領土館から出てきた時に撮ったものなので、その時のことはまた後で紹介しましょう。

北方領土館の中は、写真と資料の掲示がメイン。あとは無料で覗くことのできる双眼鏡が設置されていました。

【開館も閉館もちょっと早め】

【歌ってみたいですが、メロディーが分かりませんでした💦】

1階は、ビザなし交流や戦前に撮られた写真パネルが飾られています。そしてその横に、小僧が書きたいと言っていた署名の紙もありました。もちろん家族で署名してきましたよ。

ちなみにその署名ですが、同じ用紙に、同じ静岡市から来られた方が署名されていました。70万近い人口がいるとはいえ、この時期に静岡市から標津町まで来る人はそうそういないでしょうし、その中で、あまり時間をおかずにこの北方領土館に訪れていたというのが嬉しくなってしまいました。

さて、パネルのいくつかを紹介していきましょう。

【ビザなし交流の様子です】

【温泉、ひなびた感じがたまりませんね】

【パンと塩で迎えるということに、きっと意味があるんですよね】

【あの瓶はウォッカでしょうか】

【シンプルな建物です】

【なぜか、ゴールデンカムイを思い出しました】

【サッカーは世界共通語ですね】

【このカラーリングは、日本のセンスにはありませんね】

 

こうした交流をすることは大事だよなと思いつつ、4島が明らかにロシア化されていることは、積極的に受け入れたいとは思えない事実でもありました。

パネルには、日本の領土として日本人の生活が営まれていた頃のものもありました。

【大日本恵登呂府とあります】

同じ写真と思われるものが、Wikipediaにありました。

択捉島の小学校】

【神社でのお祭りの風景】

【漁村の様子】

歯舞群島多楽島にて、当時開校以来の演技と言われた組体操のピラミッド】

色丹島の色丹神社】

正面のアーチは、クジラの下顎骨で作られたものだそうです。

日本人の生活が、確かにこの北方領土では営まれていたんだなぁと、つくづく思いました。クジラの下顎骨があるということは、捕鯨も行われていたんでしょうね。

さて、2階に進みます。

標津町についてのパネルもありました】

2階には様々な資料とパネルが飾られていました。

【こちらには古い文献系の資料】
【個人の方によるものだったかな】

【鳥瞰図ってなんともワクワクするんですよね】

以下、パネルです。読めるかな。字が多すぎるので、まあ雰囲気だけでも伝われば。

【社会で習ったいろんな条約が登場します】

ああいう条約って、こうした状況を理解するために勉強したんだなと、今になって思いますね。

北方領土の歴史的経緯1】

北方領土の歴史的経緯2】

北方領土の歴史的経緯3】
【4島それぞれの暮らしと風景のパネル】
【4島それぞれについての説明パネル】

当時、4島合計して17000人ほどが住んでいたそうです。

【千島歯舞諸島居住者連合の紹介】

こうした様々な情報が紹介されていました。

とはいえ、終戦からは既に80年近くが経っています。あと10数年すれば、ここで生活をしていた方たちのほとんどが、この世を去ってしまうでしょう。その前に、少しでも対話を進めてほしいものだと思います。

とは言え、ウクライナの状況を見ていると、ロシアがそのテーブルにつく可能性も限りなく低いだろうなぁと・・・。なんとも歯がゆい思いです。

【備え付けの望遠鏡で見ると、本当に近く、大きく見えます】

こうして、様々な資料から北方領土についての知識を得て、建物を出ました。そこに、別のアミティのご家族がちょうど到着されてまして、しばらくお父さんと立ち話をさせていただきました。

外観を見ても分かるのですが、我が家のアミティより先輩になります。10年乗られているとのことでした。でも、下りてきたお子さんたちはうちの小僧より小さかったので、この子たちが生まれた時にはもうキャンピングカーに乗られていたんだろうなぁと。

人生とともにキャンピングカーがあるって、どんな感じなんでしょうね。それを聞けるのは1人だけ、ブロ友のシンさんち娘ちゃんだけなんですが、まだ思いを語るにはちょっと早いかなw

あと5年くらい経てば、上手に話してもらえそうですw

ただ、こうして同じ車種の方に会うと、いろんなことが聞けてやっぱり楽しいですね。特に、後輪ダブルタイヤの空気の入れにくさの話題では意気投合してしまいましたw

またどこかでお会いすることがあるかな。そうした偶然も旅の魅力ですね。

といったところで、何とか無事にここまでたどり着きました。念のために、記事をコピペしておいて、アップしようと思いますw

続きはまた明日です。