From Shizuoka to everywhere(^^)/

A to Z社のキャンピングカー『アミティ』の購入をきっかけに始めたYahoo!ブログの閉鎖に伴い、はてなに引っ越してきました。我が家のお出かけを中心に徒然と記事を書いています。我が家は私・かみさん・小僧という家族構成です。それぞれの趣味趣向が表れると思いますが、主に私・かみさん:キャンプ・スキー・山登り・自転車・旅行 私のみ:マラソン 小僧:鉄道 という方向性になっております。お付き合いいただければ幸いです。 ブログ名にあるように、静岡在住です。

16th京都紅葉の旅2023 ~曼殊院を満喫しました~

 

長引いている風邪は今日も全快とは行かず。時折咳が出て、なんとなく痰が絡む。これがもう日常になりつつあります💦

とはいえ、声はほぼ平常通りに戻ってますし、体を少し動かしてみても、感覚は通常とほとんど変わらず。せいぜい、長く休んでいるせいか、少し走ると息が上がるくらいです。まあこれはいつものことなので、ジョギングをし始めれば1〜2週間である程度は戻りますので、いよいよ、そろそろジョギング再開かなぁなんて思っているところです。

さて、京都の旅も、紅葉はこれがラストとなりました。曼殊院門跡の続きです。

紅葉の美しい庭を眺めながら、順路を進んでいきます。

【小書院から大書院へと続く廊下】

【ここでも水に映った紅葉がきれいでした】

【左の小書院は、その名の通り書院造りという造りだそうです】

公式サイトを眺めてみたら、

書院の釘隠しや引き手、欄間などが桂離宮と共通した意匠がみられ、同じ系列の工房で作られた物で、これらにより曼殊院は『小さな桂離宮』といわれています

と書かれていました。また、

書院庭園は武家の庭とは違い、また寺院の庭とも違う、いわゆる公家好みの庭となっています。司馬遼太郎先生は「街道をゆく」のなかで、「公家文化は豊臣期・桃山期に育成され、江戸初期に開花した。桂離宮曼殊院は桃山の美意識の成熟と終焉を示している」と書かれています。

ともありました。こんなところからも、曼殊院のなんというか特殊性を感じることができるなぁと思いました。

ところで、以前来たときには回廊のようなところを通ったと書きましたが、今回はそこを通りませんでした。そうしたらどうも、その場所に新しい建物が建ったんでしょうか。とてもきれいな建物がありました。

こちらについても公式サイトに載ってまして、なんでも宸殿が150年ぶりに復興再建されたとのこと。以下、公式サイトからのコピペです。

宸殿とは歴代天皇・皇室関係者の位牌をまつる門跡寺院では中心となる施設です。
明治5年京都府立医科大付属病院の前身の京都療病院建設のため、明治政府に上納され、爾来曼殊院では宸殿復興が歴代門主にとっての悲願でありました。この度願いがかない150年ぶりに復興再建となりました。ご支援ご協力いただいた全国の方々に感謝申し上げます。
尚宸殿前庭は「盲亀浮木之庭」といい、大海に住む目の見えない亀が、100年に一度息継ぎのために頭を出し、そこへ風のままに流されて来た節穴のある木片の穴に偶然頭がすっぽりはまる。それほど仏教に巡り合うこと、また人間に生まれることは難しいということを表しています。
向かって左の木片を表す岩は天然記念物の木船岩です。ぜひご覧ください。

そんなことも知らずに、「きれいな建物だなぁ」と思いながら拝観していました。

【壁にコンセントがある!と喜んでいる小僧】

【天然記念物の岩を前にアヒル隊長をセッティング】

【こんな写真が撮れてましたw】

【こちらは、天皇皇后両陛下行幸啓記念樹】

天皇陛下の植樹を眺めるアヒル隊長】

【ちょっと龍安寺をも思わせるお庭ですね そういえばしばらく龍安寺に行ってないなぁ】

こうして、最後は新しい建物とお庭を堪能して出口へ。

【入るときは気づきませんでしたが、この門の横の紅葉もいいですね】

【入口の坂路にて】

【振り返ってみると、ここもまた色とりどりです】

【自転車を取りに向かいます】

曼殊院の石垣のところもいい風景なんですよね】

【苔の緑と紅葉がまたあうわけで】

【夕日が照らす時刻になっていました】

【この塀の向こうはたぶん宸殿前庭になります】

【ここの勅使門はいつも通れないようになっていますね】

【この通りの雰囲気がまた素敵なんですよねぇ】

こうして久々に訪れた曼殊院でしたが、心躍る風景が多く、非常に楽しく過ごすことができました。

そして、外に出たところで16時半。ほとんどの寺社は、これくらいに門を閉じることが多いです。さすがにこの日は帰らなければならないから、ライトアップを見て行く元気もないし。

というわけで、今年の京都の紅葉巡りは、曼殊院でフィナーレとなりました。

ただし。この後まだちょっと寄り道がありまして、おまけのような旅路がもう少し続きます。続きはまた明日です。