From Shizuoka to everywhere(^^)/

A to Z社のキャンピングカー『アミティ』の購入をきっかけに始めたYahoo!ブログの閉鎖に伴い、はてなに引っ越してきました。我が家のお出かけを中心に徒然と記事を書いています。我が家は私・かみさん・小僧という家族構成です。それぞれの趣味趣向が表れると思いますが、主に私・かみさん:キャンプ・スキー・山登り・自転車・旅行 私のみ:マラソン 小僧:鉄道 という方向性になっております。お付き合いいただければ幸いです。 ブログ名にあるように、静岡在住です。

ずいぶん前のことですが駿府城跡天守台発掘調査現場説明会に行ってきました その①

今日で4月も終わりですね。もう2022年の3分の1が終わってしまったのかと思うと、時間が過ぎることの早さを感じます。

まぁしかし、そのおかげというか、年を取るのは早いのですが、思っていたより体力の衰えというのは緩い感じです。若い頃は、いまくらいの年齢になったら走ったりできるんだろうかと思っていましたが、まぁまぁ普通に走れてますものね。

今日は、里山をちらっと走ってきて、ほどよい疲労感w

浅間山・賤機山 / totsuspoさんの賤機山浅間山(静岡県静岡市葵区)の活動データ | YAMAP / ヤマップ

自宅まで戻ってちょうど11kmとなり、今月はこれで114.4kmとなりました。これ、4月としては、記録のあるこの9年間で最多走行距離です。毎年、年度の変わり目は忙しく、3年前なんて1か月で9.5kmしか走れてなかったりするんですが、今年は走る機会をうまく作ることができて、実働11日と休みの方がずっと多いのですが、距離を稼ぐことができました。

明日から5月ですが、初日は午後から雨予報。なるべく雨が降る前に走っておいて、幸先の良いスタートを切りたいところです。

さて、桜行脚が第5弾でようやくフィナーレとなりまして、次のネタはどうしようかなぁと思ったのですが、一応準備をしていた(と言っても、写真のサイズを小さくしていただけですが)ので、この日のことを振り返ろうと思います。

上の見出し文の後に、

小僧と2人で、申し込んであった駿府城天守台発掘調査現場説明会に行き、ついでに散髪を済ませて帰ってきました。これも自転車で行ったので、本日の移動はすべて自転車でした。全部で18kmくらいですかね。現場説明会については、またご報告いたします。

とあるんですね。というわけで、2か月ほど時間は巻き戻しますが、『駿府城天守台発掘調査現場説明会』の様子をお届けしましょうw

10分ほど余裕を持って現場に到着すると、すでに受付を済ませた方が並び始めていました。

【こちらで氏名などを記入し、ヘルメットを受け取ります】

【全体を2グループに分けて回ります】

【ヘルメットには、兜の前立てのシールが貼られていました】

【家康公のお尻が見えましたw】

【抜けるような青空です】

【さて、行ってみましょう】

現場説明会ということで、ポイントポイントで立ち止まりながら、調査をした方でないとわからないことなどをたくさん教えてもらいました。

【まずは天守台を眺めます】

【こちらの算木積みが・・・】

【おぉ、まさにこれです】

【このポイントでは、天正期と慶長期の石垣を同時に見ることができます】

天正期というのは1573年から1592年ですが、日本史上でも有名な出来事が毎年のように起きています。

元年 浅井・朝倉が織田信長に滅ぼされる
2年 長嶋一向一揆鎮圧
3年 長篠の戦い
4年  
5年 信長右大臣就任
6年 上杉謙信死去
7年 安土城完成
8年 信長と本願寺の和議が成立
9年  
10年 武田家滅亡・本能寺の変
11年 賤ケ岳の戦い
12年 小牧・長久手の戦い
13年 秀吉関白になる
14年 家康が秀吉に臣従する
15年 伴天連追放令発布
16年 室町幕府滅亡
17年  
18年 秀吉小田原攻め
19年 秀次関白になる
20年 文禄の役

こうして見ると、前半は信長の時代、後半は秀吉の時代ですね。秀吉の時代は朝鮮出兵から少しずつおかしくなっていくイメージですから、信長と秀吉のそれぞれ隆盛と衰勢が前後半10年ずつにはまっているように感じます。

そして、表の中で赤字にした天正13年、この年に、家康の手によって天正期の駿府城築城が始まっています。次の年に秀吉に臣従することになっていますから、この天正期の駿府城は、秀吉の影響を受けたものとなっています。

そしてその後の慶長期というのはまさに家康の時代となっていきます。

元年 豊臣秀頼元服
2年 慶長の役
3年 秀吉死去
4年 家康が大坂城西の丸入り
5年 関ヶ原の戦い
6年  
7年 方広寺大仏殿焼失
8年 家康征夷大将軍になる
9年  
10年 徳川秀忠2代将軍になる
11年 江戸城本丸完成
12年 駿府城全焼・大改修
13年  
14年  
15年  
16年  
17年  
18年  
19年 方広寺鍾名事件・大坂冬の陣
20年 大坂夏の陣豊臣氏滅亡

偶然にも、慶長も20年なんですね。慶長の20年は、前半が家康の足場固め、後半は大きな出来事は少ないですが、豊臣氏との様々なせめぎあいがあったであろうことが想像できます。

で、この天正期と慶長期というのは20年の違いがあるのですが、この20年の間に社会的にも大きな変化がありましたが、城造りにも大きな変化があったそうです。それはまさに劇的ともいえるほどのものだったとのこと。

と、ここまで調べたり書いたりしていたら、思った以上に遅くなってしまいました。文字数も2000文字近くになってしまったので、本日はいったんここで更新しておきます💦

なんとも中途半端ですが、続きはまた明日です。