From Shizuoka to everywhere(^^)/

A to Z社のキャンピングカー『アミティ』の購入をきっかけに始めたYahoo!ブログの閉鎖に伴い、はてなに引っ越してきました。我が家のお出かけを中心に徒然と記事を書いています。我が家は私・かみさん・小僧という家族構成です。それぞれの趣味趣向が表れると思いますが、主に私・かみさん:キャンプ・スキー・山登り・自転車・旅行 私のみ:マラソン 小僧:鉄道 という方向性になっております。お付き合いいただければ幸いです。 ブログ名にあるように、静岡在住です。

2024GW後半戦は1都2県の旅 ~軍の遺構と思わぬ出会い~

今日は比較的早く帰ってきたんですが、ロッテ=日本ハム戦がBSで放映されていたので、それを見ていたら、延長12回引き分けで4時間2分という試合になってしまいまして。結果こちらへの取りかかりが遅くなるという💦

というわけで、ちょっと急ぎ足で更新を済ませようと思います。もう23時半になっちゃいましたし。

霞ヶ浦を30km走って、折り返して30分弱。行きに見つけて気になったところがあったので、休憩を兼ねて寄ってみることにしました。

【映画ロケ地とあります】

【拡大してみました】

ゴジラー1.0と書かれています。

これですね。第96回アカデミー賞で、邦画・アジア映画史上初の視覚効果賞を受賞した作品として大きな話題になりました。見てませんけど💦

それで、ここが本来何の施設かというと。

【ほほう】

これはちょっと、寄らなきゃならないようだぞと思いまして。

【遺構見学コースとあります】

観光いばらき公式ホームページには、以下のように説明がありました。

旧海軍の「鹿島海軍航空隊」跡地を整備し、国内唯一の希少な戦争遺跡群公園として令和5年7月22日より一般公開しています。
園内には司令部庁舎などが当時の様相のまま残存しており、映画やドラマのロケ地として多くの作品が撮影されました。
映画「映像研には手を出すな」の聖地巡礼ツアーなどでは国内外から多くの方が訪れています。

ゴジラのみならず、「映像研には手を出すな」のロケ地にもなってるんですね。これも見てないけど、話題になっていたので名前だけ知ってます💦

それにしても、戦争遺跡群公園って珍しいネーミングですね。でも確かに、こんなところ他にあるんかいなって感じの場所でした。

他のサイトの説明も見ると、四半世紀にわたり放置され、廃虚となっていた戦争遺跡で、一時は取り壊しの方針も出ていたそうです。しかし、クラファンなどで資金を集め、保存されることになったとのこと。

【まずは、ただの倉庫かと思いきや】

こちらの建物は、当時、自動車車庫として使われていたものです。間に柱を使わずに広い空間を得られるように、骨組みの組み方が工夫されているそうです。

中にはプレハブ式の倉庫が2つ並んでいて、片方ではカレーなどの食事が提供されており、もう片方では物品販売や見学の受け付けをしていました。こちらでひとり1000円払うと、謎解きをしながら敷地内を巡ることができる用紙をもらえます。それらを片手に、敷地内を巡ってみることにしました。

【当時使われていたローラー】

昔はこういうのでグランド整備をしたんですよねぇ。自分の中学の時には現役で残っていたような気がしますが、最近はとんと見かけなくなりました。

【ただの塀では・・・】

こちらも戦争遺跡として残されています。何かというと、当時のまま残されているコンクリート塀なんだそうで。何気なく見えているものが、80年以上前のものだと知ると、これはこれで驚きです。

【こちらが案内用の掲示

こうした掲示がそこかしこにありましたが、クラファンで集めた資金はこういうのにも使われているんでしょうね。

では、看板の順路に従って行くとしましょうかw

国立科学博物館とな】

最初にこの看板を見つけた時は、「科学博物館の希少コレクションとかが保管されているところなのかな」と思ったんですよね。ここ、筑波からも近いし。

と思ったら、こちらのサイトに貴重な情報が書かれていました。

1990年代に独立行政法人国立科学博物館がこの地に「国立科学博物館分館」の建設を予定した

のが、どうやらこの看板の発端のようです。その後、土地の所有がどうなっていたのかは分かりませんが、2年前にはクラファンが始まって、昨年無事に大山湖畔公園として一般公開が始まったとのこと。ですから、こちらの施設が公開されて、初めてのGWに訪れたということなんですね。

昨日も書きましたが、当初はブロ友のタチコマンさんに教えていただいていた、『阿見町予科練平和記念館』に寄るつもりだったのですが、こちらでお腹いっぱいになってしまったので、今回は寄らずに過ぎてしまったというのが実際のところです。

さて、このフェンスの間に出入り口が設けられてまして、そこから敷地内に入ります。すぐあったのがこちら。

【今から84年前ですね】

てことは、今年は紀元2684年てことになるのかな。

こちらの説明にも書いてありますが、ゼロ戦というのはこの紀元2600年の下2ケタからとられたそうですね。

ところで、ここは戦争遺跡とは言いますが、戦闘機などの展示があるわけではありません。基本的にあるのは、廃墟群ですから。この後も、そんな感じの、もしかしたら地味に感じる画像が続くわけですが、眠くなってしまったので、本日はこんなところで終了いたします。

続きはまた明日です。