本日も安定の20時半終了。そこから、頼まれたドラッグストアでの買い物と、灯油の購入を経て、帰宅は21時近くになってしまいました。
帰ったら小僧がイライラしながら宿題をやっておりまして。
なんでも、冬休みまでに計算ドリルを済まさなければならないらしく。
日々コツコツとやっていれば今焦らなくて済むはずなんですけどね。親に似てそういうタイプではないようで💦
自分、夏休みの計画なんて、綿密に立てた挙句にその通りに進んだことなんて記憶にございませんですから。そんな経験から学んだことと言えば「あきらめ」くらいですねw どんなに一生懸命計画を立てたところで、結局はなるようにしかならぬとw うん、今の仕事ぶりにも通じるものがあるかもしれません💦 最後に帳尻合わせればいいでしょ、みたいな。どうせ、予期せぬ仕事が入って来ちゃいますからね。
小僧には、いずれそういう境地に達するがよいと。
さて、そんな行き当たりばったりは、社会人としては失格かもしれませんが、旅では思いがけない出会いにつながったりして、なかなか捨てたものではありません。
今回、最高の紅葉に出会ったのも、行き当たりばったりで訪れたお寺でのことでしたからw
そのお寺は『宝筐院』さん。昨日紹介した『清凉寺』さんのお隣にある小さなお寺です。
Wikipediaによると、なかなか山あり谷ありな歴史を持ったお寺でした。
足利氏の庇護もあって寺は隆盛であったが、応仁の乱以後は次第に衰退していった。
江戸時代になると宝筐院は天龍寺の傘下に入り、その山外塔頭となっている。幕末には客殿と庫裏しかない状況となり、ついに廃寺とされている。
1891年(明治24年)、京都府知事北垣国道は楠木正行の遺跡が荒れているのを知り、由来を記した石碑「欽忠碑」を建てている。そして、正行ゆかりの遺跡を守ろうと天龍寺管長・高木龍淵や神戸の実業家・川崎芳太郎(川崎正蔵の養子)によって、旧境内地が買い戻され、建物も移築されて伽藍が整えられ、宝筐院の再興が行われた。
とのことで、こちらには室町幕府第2代将軍足利義詮と、足利氏とは敵対する関係であった南朝の武将、楠木正行の墓があるという不思議な立ち位置でもあります。いったん廃寺となったそうですが、そんなことは全く感じさせられない素晴らしさでありました。
門の辺りからはまだその中をうかがうことはできませんが、一歩中に入ってみるとこの通りです。
足元も見逃すことができません。


さて、目線をあげるとこれはまた素晴らしく。









こちらの宝筐院さん、紅葉密度でいったら、これまででも最高レベルの濃さだったと思います。一番良かった時の常寂光寺に肩を並べるくらいかな。
中で歩いている方たちからも、「今年はここが一番だな」なんて声が聞かれ。実際、他と比べても圧倒的だっただろうと思いました。
滞在中、「いやぁ・・・いいなぁ」とばかり言ってましたからねw
年によって当たりはずれはあると思いますが、この時期に京都に行ったら、ぜひ一度行ってみていただきたいと思います。それなりに混んではいますが、パンフレットで大きく扱われるようなところではないので、他の人気のお寺に比べればずっとのんびり見られるかと。
なんにせよ、再訪が楽しみなお寺がまたできました。嵯峨野はまだまだ奥深いです。
と言ったところで、続きはまた明日です。