先週は4日しか働いていないのに、どういうわけか妙な疲労感。木曜日の出張で会った人も、「今週って4日しかないはずなのに、やたら疲れるんだよね・・・」と言ってました。
恐らく、正月休みから明けて5日間の業務で精神的に疲れがあったのでしょうが、続いての3連休でまた遊んでしまい、心身ともに疲労感があるのではないかと。
そんなわけで今日は、1日引きこもりで、ひたすらゴロゴロして過ごしてしまいました。朝起きてから今までの間、トイレに行く以外はずっとリビングで過ごしています。そんな中で、ブラタモリの岐阜の回をダビングしておいたDVDを見つけたので、さっそく復習。
すると分かったのは、タモさん、金華山には行きましたが、天守には行ってないんですね。リス村とチャートの地層、石垣を見たら、麓の居館跡に下りていました。私たちは麓の居館跡に入っていませんが、それ以外の場所は行ったので、楽しく見られました。
というわけで今日は、タモさんが行かなかった天守の紹介です。
館内は、岐阜城や織田信長についての資料がたくさんありました。
当時の世界地図を見ると、日本の辺りが『極東』とか『Far East』と言われるのがよく分かりますね。ヨーロッパから見たら、まさに地の果てだったんでしょう・・・というか、今でもヨーロッパではこの地図がベーシックでしょうから、今でも地の果てという印象はあまり変わらないのかも。
まぁ、そんな地の果てでもそれなりの文化が発達していたわけで、その当時の日本では信長公はトップクラスの先端を行く文化交流者だったのだなということを感じました。
そんな信長公も眺めたであろう、濃尾平野の広々とした景色を見られるのが、天守の最上階です。
最上階からの景色は以下の通り。縦の写真は基本的に小さくして載せているのですが、この景色は大きなサイズで載せておきましょう。
本当に素晴らしい景色でした。
今回岐阜城に行ってみて分かったことで、ブラタモリでも触れられていたのですが、ちょうどこの岐阜城のある場所というのは、北部の山地から南部の濃尾平野へと変わるところのちょうど境目のところになるんですね。なので、北側にはずっと山が広がっていますが、南側はずっと平地が広がっていて、30kmほど向こうにある名古屋駅のツインタワーが見えるほどです。
この広々とした平野には、大きな可能性を感じますね。特に、山と海とがすぐ近くにある静岡(海から山まで7~8kmほど)に住んでいると、広々とした平野というのは異世界にすら思えます。
岐阜城は、2018年のGWに行こうとして入れなかったという経緯もあったので、今回行くことができて非常に満足しました。再訪もありかなと思うくらい。
この前の年も、プチキャラバンで訪れている濃尾平野北部地域。まだまだ楽しめそうな雰囲気があり、岐阜城もふくめて再訪したい気分です。
続きはまた明日です。